昭和42年04月06日 夜の御理解



 今日は、伊万里の竹内先生のご案内で、ここの陶器類の購入をしなければならない。それももう会席に使います、五十人前からのものを用意しなければならない。どこへ行ってもその窯元が揃うところがなかなか無いのです。そのなかに源右衛門と云う、源右衛門窯という有名な有田の三右衛門と言われる、その柿右衛門なんかと並んで称せられる、いわゆる芸術家なんですよね。
 陶匠が居ります。そのお家を拝見させて貰ったんですけれど、そりゃあもう実に見事な事でした。沢山窯元はいくらも廻りましたけれども。ほんとにあの何でも同じですけれども、ピンからきりまでなとこう思いました。同じ有田焼と云うても、伊万里焼と云うてもやはりピンからきりまであるです。まあ普通会席七点ですか、八点ですかそれが集めましてですね。家で頂きましたのは750円かなんかでしたね一客分が。
 ところが源右衛門窯はですね、それだけで5千円です一人分が。それはもうだから押して知るべしそれはもう実にその、見事なもんでございましたがね。まあそう云う様な、あちらこちら目の消毒をさせて頂きながら、今日の御用をこちらから思うて居った様な物を購入させて頂いて。そして帰ってこう云う御膳に使おうと云う、その御膳に乗せて見ましたらきちっとこれがあの、高い方のこれでも買うとったら。
 この御膳に乗り切らんだろうという様な、きちっとしたもんでございましてねえ。もうやっぱりすきっとした有田焼ですから、それはやっぱり見事ですね。あれが五十枚ざっと揃うたら、ほんとに見事だろうとこう思います。そういう中に今日私感じた事なんですけれども。その源右衛門窯に参りました時に、応接に一番始めに陶器がこう陳列してありますのに、一番始めに私が目についたのがですね。
 こういうまん丸いこのくらいばかりの玉なんですね。もう見事なんです。ははぁこれは確かに、文鎮に作ってあるとであろうと、私が、思うたんですよ。まあここを見て回ってしもうて、そこの当主でありますところの源右衛門さんが出て見えられました。それで色々私質問さして頂いた中にです。大体これは何に使うのですか文鎮にお使いになるのですかと。そうですとこう云う訳なんですね。
 でこれはあの分けて頂く訳にはいかんのですかと。はぁこれは私が使う為に一つだけ作ったもんだと云う訳なんですね。ですからこれはあの売るものではございませんけれども、と云うてその観賞用に出してございましたのですね。そしたらそのこれは先生今日お出でて頂いた記念に一つお持ち、これは一つしか無いんですけれども。それをどうぞお持ち帰り下さいと、云う訳なんですよね。
 勿論そこで物を買う訳でも御座いませんのですけれども。そん時思うたですね例えば自分がもう苦心の作と云うか、自分が見事と思うか是は良いと思うておるものを、良いと思われた時ですね。矢張り惜しいものは無か様な気がするのではないかと思う。所謂我が意を得りと云う時なんです。こういう物に目を付ける人は普通はないという事。大きな額皿とか大きな花瓶とか、素晴らしいその陶器類には目を付けるけれどもです。
 小さい隅の方に置いてあるこう云うその、いわゆる文鎮なんですけれど。そう云うそのものに目をつける人がないのですねきっと。だからだったかどうか判りませんけれども、まあ私が感じました所からは、はあほんとに良いものを見つけて下さったと、我が意をえたりと云った様な感じでですね。どうぞそれを一つ記念にお持ち帰り下さいと云うて、包んで下さいましたから。
 もう私それを頂いて帰りましてから自動車の中で、何回もほどいてから見るほどに楽しいものなんです。そこから私は思うんですよね。おかげというのは、そんなもんだと思うんですね。氏子と神様の中にもです、もうほんとにその我が意をえたりと、神様が思われた時ですね。もう惜しいものは無かと云う様な事になって来るのではなかろうかと思うです。もう神様が場合においては目を細めて、その喜んで下さる様な。
 例えばその思い方一つにでもです、皆さんが例えば真心の事をほんに神様がお喜び下さるだろうと云うてるのではないけれども。ふっと自分の心の中にです、神様がはぁ今の様な思いを神様が喜んで下さるのだなあと云った様に、こちらに喜びが返って来る様な事がございましょうが、あれがそれなんです。ほんとに我れと我が心が拝みたい様な時。そういう時に思うておる事はです、神様が確かに喜んで下さる事なんです。
 そう云う時じゃないでしょうかね。それこそ神様が我が意をえたりと、やはり思われるんじゃないでしょうか。それこそおかげであろうが、徳であろうが、やはり惜しげ悪しげなしに、さあどうぞお持ち帰り下さいという様な事になって来るのではなかろうかと、私は思うたんです。ですから結局私共がです、本気で磨かして貰おう。本気で改まらせて貰おうと、限り無く美しうならして頂こうという。
 そう云う改まりそして磨き限り無く美しうならして頂こうと云う願いの中からしかです。そう云う神様が喜んで下さる様な神様が我が意を得たりと云うて喜んで下さる。さあお持ち帰り下さいと云う様なです、事になって来ないのではないかとこう思うのです。段々垢抜けして来ると云う事は信心じゃない和賀心が垢抜けして来るのです。ですから思う事もですもう普通の者が思わない様な、素晴らしい有り難い事が思えれるのです。
 そのたんべんにこちらに感動が返って来る。一日中有り難いなあ、有り難いなあとこう思い暮らせれる人が、そう云う心の美しい人だと、私は思うんですね。同時にそういう美しい心にならせて頂こうと、こう願うておる人だと、私思うんです。私、今日、その源右衛門窯にまいりましてから、そんな事なんか考えさして貰いました。確かに神様と私共の間でも、同じ事だという事なんですね。
   どうぞ。